わしの日記
2025/03/03 (月)
音楽人とサヨク
ラジオ番組『WEEKEND SUNSHINE』(NHK FM) や 『Barakan Beat』(interFM)は、オールディーズの音楽知識を吸収する教材だと思って録りためて聴いている。
ピーター・バラカンさんの薀蓄を聴きながら新しいことを覚えるのは楽しい。(制作された年代はもちろん古い曲が99%なんだけど、私にとっては「新しい」)
ただ、音楽の話は楽しいんだが、随所に子供じみたトランプ批判が出てくるのがガッカリ。
政策批判ではなく、「独裁の進行するアメリカ」という、根拠の不明な認識を前提にした、「どこまで行ってしまうのか」という慨嘆。経済の話や政策の話、難民問題や、中国共産党がどれだけ危ういものかという観点などゼロ。
そして滑稽なのは、それに迎合したかのような視聴者のメールも多く、一緒にため息をついてみせて、特に内容を深めるわけでもない。
「そう思って当然ですよね、わかっているひとはわかりますよね」というスタンスだ。
まさに「うすらサヨク」「自称リベラル」そのものの、なんともステロタイプな、洗脳されたといってもいい単純認識……ただ、これはバラカンさんが悪いのではあるまい。CNNなどの、米民主党系列を中心とした喧伝を、そのまま信じているのが不幸なのだろう。
だいたいトランプは選挙で選ばれたんだから、なにが"独裁"なんだろう?
言葉の重みを考えなさすぎる。
「差別だ」「人権侵害だ」「ヘイトだ」と言葉本来の意味を過大に解釈して大袈裟な言葉でサヨクが騒ぎたてるのは、どうも同じ思考様式のようだ。
トランプ大統領の批判はわしもしたいところが大いにあるが、それは、政策の批判であり、人格否定とは違う。
サヨクあるいは自称リベラル、自称フェミニストたちの盲目的な存在否定は、「あいつはまちがっている」「許せない」に始まり、究極は「暗殺しちまえばいいんだ」に行き着く。20世紀の共産主義国家は、ほぼみな、そこに行き着いてしまった。だからサヨクが「安倍さんが暗殺されて良かった」などと公言して憚らないのも、驚かない。発想が同じで、負の感情や、利己的な判断を、ただ小難しい言葉の理屈で飾っている点で同じ。だから驚かないけど、人間としては、心の底から軽蔑する。こういう人非人が語る"正義"や"真理"など、信じられるわけないだろ。わしは信じない。こういう輩は、地獄に落ちるぞホント。
音楽関係者にはサヨクが多い。考えるのが面倒だからだろうか? (いや失礼)
大学教授やマスゴミにはサヨクが多いが、これは、社会不適格者あるいはただの怠け者で、他に居場所がなかった、という背景を容易に想像できる。(笑)
ミュージシャンとかアーティストとか、あるいはヒョーロン家、呼び名は何でもいい音楽業界そして周辺に群がる人たち。たとえば過去、ロックは、反体制じゃないとカッコ悪い時期があった。だから、今すぐ軍備増強だぜぇ、と歌いにくいのは理解できる。でも、それだけじゃないように見える。
清志郎は好きだが、例えばカバーズの歌詞内容はさっぱり感心しない。ま、深く考えずに曲を楽しむことにしているが、生前の本人に、もし万が一、一緒に反原発しようぜぇと呼びかけられたら、わしは断る。音楽作品と本人の思想は切り離して考えようとしている。そうでないと、プロテスト・ソングと称するものは一切聴けなくなって不便だし、わかりやすい日本の例でいうと、たとえば坂本龍一。まったく聴けなくなっちゃうよ。曲も演奏も大がつくほど好きだが、このひとの政治的発言を見聞きすると、頭痛くなってくるでしょう。吉本隆明の影響で変な思想に取り憑かれて一生脱せなかった元・全共闘、と言っては言いすぎかもしれないが、とにかく1ミリも賛同できない。YMO世代としては、実に実に複雑なところなのだ。それはそれ、と受け止める姿勢でいくしかない、わしは。
ま、厳密には、切り離せない場合もあるので困るが……でも人間は多面的なもの。
ある面が嫌いだから人間すべて否定、というところに行かないのが、わしの考える理想の人間の姿である。保守的人間は、そうあるべきではないのかな。
人間性への深い理解を持つひとは、ひとの嫌なところも知りつつ、良きところも認める。結果的に、保守的な思想に近づく。小賢しくアタマだけで考える人間はサヨク的な断罪思考に近づき、手段を選ばずアイツを消せ、に行きつきやすい。
(注)百田尚樹先生が過去の動画で坂本龍一の曲に触れ、ぜんぜんいいと思わなかった旨を述べておられたことをご存じのファンの方もおられると思いますが、そんな、その場その場の好き嫌いの表明など、何ら問題にする気はありません。ここで述べたのはあくまで、わし自身の考えですし、自分でなにも調べない思考停止の「うすら左翼」を嘲笑する意図こそあれ、保守言論人の趣味嗜好など何の問題にもしていません。念のため。そんなことは気にせず、バラカンさんのラジオは聴き続けるぜ、というのが本稿の主題ですのでね。